山ガール3娘!妙義山へチャレンジ!の巻
その1
その2
その3
その4
※これはまんがのお話です
安政5年頃 渋沢栄一さんは
藍玉の商いで 度々 上州や信州を訪れ
漢詩を作りながら旅をしたそうです
途中 妙義神社参拝や
周辺の奇岩が立ち並ぶ
険しい山々を登ったという事
「内山峡」という題の漢詩の一節に
「勢衝青天攘臂躋 気穿白雲唾手征」
とあります
これを読み下しすると
勢いは青天を衝いて
臂(ひじ)を攘(まくり)て 躋(のぼ)り
気は白雲を穿(うがち)て
手に唾(つば)して征(ゆ)く
意味としては
青天を衝く勢いで
ひじをまくって(うでまくりして)登り
白雲を突き抜ける気力で
手に唾をつけながら先へ進む
という感じのようです
その5
※これはまんがのお話です
その6
※これはまんがのお話です
妙義山や周辺の山々の岩場に生える
オオビランジは
絶滅危惧種に指定されています
ナデシコ科の多年草で
とっても可憐なお花です
その7
※これはまんがのお話です
尾高惇忠さんは 明治維新後
官営 富岡製糸場の建設計画に携わり
初代場長を務めました
「工女の生き血を絞る」等の噂が広がってしまい
工女が全く集まらない中
自分の娘を工女第1号として呼び寄せ
良からぬ噂を払拭しました
工女の教育や場内の規律の維持に力を入れ
「至誠神の如し」
(たとえ能力 才能が豊かでなくとも
誠意を尽くせば その姿は神様のようなもの)
を掲げました
従弟の渋沢栄一の師であり
栄一さんは後年「藍香(惇忠)ありて青淵(栄一)あり」
(今の自分があるのは 尾高の教えのおかげである)
と称え
また
惇忠さんの生家の床の間には
「出藍精舎」
(師匠よりも優れた弟子が生まれた修業の場)
の書が飾られているそうです
(出藍(しゅつらん)とは 藍で染めたものは藍よりも青い
という事から
そこから生まれたものが そのもとのものより優れている事)
惇忠さんと 栄一さんの 師弟の深い絆が
見えてくるようですね
その8
※これはまんがのお話です
尾高惇忠(あつただ)さんと
尾高忠明さんは
有名な音楽家で
尾高惇忠(じゅんちゅう)さんと
渋沢栄一さんの ひ孫にあたります
忠明さんは「青天を衝け」の
テーマ曲を指揮しているそうですよ!
「手のひらを太陽に」は
「アンパンマン」のやなせたかしさん作詞
「太陽がくれた季節」等のいずみたくさん作曲ですね
子供の頃 よく歌いましたよね
良い歌です
その9
※これはまんがのお話です
妙義山の大の字は「大権現」の大です
(大権現とは 仏が 仮に神の形を取って現れたもの)
妙義神社の妙義大権現を省略したもので
江戸時代から妙義神社にお参り出来ない村人や
旅人が中仙道から大の字に向かってお参りしたそうです
大の字までの登山は
少々の鎖場もありますが 初心者でも登れます
道の駅 みょうぎ物産センターには
「大の字」というお食事処もありますよ!
その10
※これはまんがのお話です
妙義山 上級登山道は
しばしば 滑落事故が起こる
危険なコースです
ヘルメット ハーネス カラビナ等
十分な装備をして
ムリのない計画で楽しんで下さい
ビビリ岩をスケボーで駆け降りる事は
大変危険なので 絶対にお辞め下さい
その11
※これはまんがのお話です
五代才助(友厚)さんは
幼い頃から勉学に励み
その才能を評価され
藩主より才助の名を賜ったそうです
鉱山の経営などを行い
鉄道 紡績事業を起こし
大阪株式取引所 大阪商法会議所を設立
他にも 公益性の高い施設をたくさんつくり
地位や名誉のためでなく
日本の発展 国力増大に尽力した生涯でした